子供の宿題やZ会を見たりしていていつも思うのですが、こういうの勉強して何に使うんだと。
もちろんたまには役に立つこともあって、大学で微積やら線形代数やら必修だったのですが、 卒業して10年以上経って、「ああ、これに使うのか!」と理解したことがあります。
いや、でも、フツーに仕事してたらそんなもの使わないだろうと。
直接的に役立つとすると漢字、現代文くらい? 英語も仕事によるし。
よっぽどスポーツが得意、絵が美味い、ピアノが弾けるとかの方が、アマチュアレベルでも 仕事に活かせるんじゃないかとさえ思います。
ではなんで子供にせっせとZ会なんかさせたり、英語を先取りで教えているんだという葛藤がないわけではありません。
自分自身の事を思い出すと、僕はいまでこそアンチ中学受験の急先鋒ですが(いや、まじで意味ないですよ。本当に)、 自分は思いっきり中受していてしかもけっこう良い中学に受かってしまいました(自分で言うのか)。
次に何が起こったかというと、高校3年まで全く勉強しなくなります。 家の机で勉強した記憶がありません。 赤点は運よくありませんでしたが、東大や国公立医学部に現役で受かるような同級生とは 明らかに学力の格差があります(笑)
所詮は親と塾にやらされた勉強なので、学ぶことの楽しさや学習スキルが身についたわけではなかったんですね。
当時の心境として勉強ができる同級生は異性物で、自分とは関係のない人種だと思っていました。
高3になってちょっと勉強するようになって気づいたのですが、受験勉強なんて所詮は上手い下手の問題。
社会人になってTOEICや簿記を独学で勉強する人は多いじゃないですか。 学生時代は勉強が苦手な人でも、そこそこ続けていれば良い結果が出る。 そう、勉強はただの慣れです。
もちろん東大や国公立医学部は難易度が別格ですが、それ以外の国公立や早慶上智くらいなら ちょっと頑張れば誰でも受かります。
大事なことは「ちょっと頑張る」という行動がとれるかどうか。
勉強に限らず、例えば食べたい料理があればスーパーで食材を買ってネットでレシピを検索して ちょっと試してみたりするじゃないですか。
これ、「ちょっと試してみる」ができない人だと別次元の問題になります。 まさに勉強ができる同級生を眺めていた中学高校の僕。
スポーツや音楽、絵、その他の趣味なんでも同じです。 できない人間と言うのは「ちょっと試してみる」がマジでできない(自分のことなのでよくわかる)。
恐ろしいのはこの後で、ある分野で成功体験があると別の分野で「ちょっと試してみる」の 敷居が極端に下がります。
DIYが得意で車のバッテリー程度は自分で取り換えられる人なら、家電が壊れても「ちょっと直してみる」 ができるんですよね(この分野は僕は駄目ですが)。
逆に成功体験がないと何もやらないまま時間だけが過ぎる。
こうやって人間の文化的格差が広がります。 進学校の生徒は勉強ばかりで部活も趣味もしないかというと全く逆で、自己肯定感が強いので わりとなんでもチャレンジしたりします。 この積み重ねが大学、社会人になるととてつもない差になってしまう。
結局、なんで子供たちに社会に出て直接的には役に立たない勉強をさせているかといえば、 「やってみれば意外にできてしまう」という経験を人生の早いうちにさせたいからなのかもしれません。
僕は子育ては親は何歩か引いていた方が良いと考えていますが(親に口出されるのは何よりウザいのは誰しも経験済みのハズ)、 小学生くらいのうちはマメに勉強を見てあげた方が良いのかなぁと思ってます。