ミニマリスト日記

仕事、子育て、ミニマリズムなど。

年末年始の16連休を活かさなければならない

僕は昨日が仕事納めで、今日から16連休だ。
有休消化も兼ねているとはいえ、社会人として16連休の意味は重い。
友人たちからも「羨ましい!」と言われる。
しかしもし普通にダラダラと休んでしまったら、貴重な時間が無駄になる
どころか、年明けは働けない体になってしまうことは 間違いない。

クリスマスやお正月が目白押しだ

なので、この年末年始にやることリストを作ってみた。

1. 部屋の片付け
最近、割と大きな整理整頓を行って、着ない服や持ち物をばっさりと捨てた。
モノが捨てられない僕にしてはなかなかの快挙だ。
しかしまだ、僕の部屋には不要なモノがたくさんある。
これらを思い切って捨てて、新しい年を迎えなければならない。

2. 個人事業の請負仕事を進める
クライアントの忘年会に行ったついでに、仕事を獲ってきた。
納品は1月末だが、年末年始である程度メドをつけてしまいたい。

3. 保険の見直し
僕は若い頃に日生の保険に入ったが、どう考えても高過ぎる。
日生社員の高給を支えるために、僕は働いているわけではない。
今年度で見事に保険を乗り換えるために、この連休で他社を検討していきたい。

4. 商用サイトの雛形を作る
僕の個人事業はITアドバイザリーとシステムの請負開発なのだけれど、
これだけではビジネスがスケールしにくい。
そこで、自分が運営するサイトを展開していきたいのだが、
その雛形を作ってみたい。
たしかにこの手のビジネスは難しいのは重々承知だが、チャレンジしなければ
成果も得られない。

以上が僕の16連休のやることリストだ。
今日はさっそく寝坊したり、お昼寝までしてしまったので、とりあえず部屋の
片付けから始めていこう(名誉のために、午前中に娘どもを公園に放ち、
買い物までしてきたことは付け加えたい)。

ちなみに何かを始める時はYoutubeで音楽を聴きながら行う。
今聴いているのはKT TunstallのSuddenly I Seeだ。

youtu.be

映画『プラダを着た悪魔』のオープニングを飾る曲で、 印象に残っているシーンだ。

今年から勤め先の忘年会は拒否することにした

僕は自分で言うのもなんだが、付き合いは良い方だ。
社内では誰に対しても愛想よく接するし、飲みに誘われれば基本的に断らない。

学友とも年に1〜2回は食事をするし、個人事業の取引先の忘年会もかかさず
参加している。

ところが、こんな僕でさえ、勤め先の忘年会は辟易している。

グループを割り振られ、歓談する間もないほどビンゴだかクイズだか
ゴミみたいなイベントが山盛りだ。
皆、その場では盛り上がっているが、社内で忘年会の話題になると
ネガティブな発言をする。
そんなゴミイベントは有志による忘年会委員会なるものが組織され、
半年前から入念に準備されている。忘年会委員会とそれを指図する役員の
自己満足の産物だ。
クソ不味い飯を食わされ、よくわからない連中と組まされた挙句に変なクイズに
参加しなければならないのだ。

ちなみに個人事業の取引先主催の忘年会はかかさず出る。
景品がもらえるちょっとしたイベントはあるものの、大半の時間は食事と歓談を
楽しむことができる。
中にはシャレオツなホテルや高級レストランで食事をするだけというハイセンスな
企業まで存在する。

f:id:danceswithwolves:20181124202109j:plain:w400

なぜこんな簡単なことが、僕の勤め先はできないのだろうか。

まぁ、忘年会担当役員の趣味が悪すぎるところにある。
よっぽど貧しい生活を送ってきたのだろう。

僕は忘年会も給料のうちだと割り切っていたが、さすがに冷静になってしまった。
忘年会に参加する2時間、他に何ができるだろうか。

  1. 家族と食事
  2. 友人と食事
  3. 一人で買い物
  4. 勉強
  5. 個人事業
  6. Amazonプライムでドラマを鑑賞

どれをとっても忘年会よりも有意義だ。

もうこんな愚痴を書くのも嫌なので、僕は忘年会への参加を断ることにした。
別に会社や仕事が嫌いなわけではない。
くだらないことに関わる時間がもったいないのだ。

『シンデレラ』という普遍の物語

10月の休日、家族で東急シアターオーブマシュー・ボーン演出の
『シンデレラ』を観に行った。

f:id:danceswithwolves:20181028200154j:plain:w400

バレエ団なので踊りで表現するのだけれど、言葉がなくてもわかりやすい。
舞台を戦時中のロンドンにしたことも、新鮮でだった。

f:id:danceswithwolves:20181028200236j:plain:w400

ところで『シンデレラ』のストーリーを知らない人はいないと
思うけれど、僕はこの手の話は主人公の作り出したファンタジー
なのではないかと思って観てしまう。

現実から抜け出して全く違う人生を想像し、過酷な境遇を忘れようとする
人間の普遍的なテーマなのではないかと感じる。
例えば宮崎駿監督の『ハウルの動く城』も同じ理屈だ。
ハウルの動く城』は、唐突で都合の良過ぎる終わり方に拍子抜けしてしまう。
宮崎アニメ独特の登場人物や舞台の繊細さが感じられず、雑な印象さえあった。
ところが『シンデレラ』と同様に、身寄りのない老婆が抱いたささやかな
おとぎ話と捉えると、途端にあざやかで心を打つ物語となる。

いや、まぁ、僕の勝手な想像で、宮崎駿監督がどういう意図で作ったのかは
全く知らないけれど。

なんにせよ、舞台は映画とは違った面白さがあって、やはり生の演技が
鑑賞できるので 感動も大きい。
観劇に興味が出て、年末のオーケストラのチケットもとってしまった。

初心にかえる

長女が家庭菜園でミニトマトを作っていた。
種を蒔き、毎日せっせと水をやり、台風の日は室内に避難させ、
晩夏にはミニトマトが完成した。
サラダにはそのミニトマトが加わるようになった。

このプロジェクトの成果物はミニトマトではない。
種をまいて、毎日せっせとお世話した日々が成果そのものだ。

"Don’t judge each day by the harvest you reap but by the seeds that you plant."
Robert Louis Stevenson

この名言にある通り、収穫というのは人生における瞬間的な事象に過ぎない。
その過程で得た経験こそが人生の成果になるのだ。

僕はブログのタイトルに「リッチでモテモテのイケてるオッサンになる」などと
とても頭の悪そうなことを書いている。しかし僕はその過程を経験したいのだ。

僕はこのブログを書く前は、ただのデブのサラリーマンだった。
リッチでモテモテのイケてるオッサンになるためには荒治療が必要と考え、
いきなり副業を始め、街中やバーで女子大生やOLをナンパしたりもした。
(物事に抵抗を感じない事が僕の唯一の取り柄か・・・)

danceswithwolves.hatenablog.com

あれから二年が経過し、おかげさまで目標に片足を突っ込み始めているが、
最近は生活がやや惰性になっていた(ブログの更新もサボってしまった)。

f:id:danceswithwolves:20180924190354j:plain:w400

先日、「40代でやりたいことリスト」を作った。

danceswithwolves.hatenablog.com

これを機に、もう一度、日々の生活を改めていきたい。
「40代でやりたいことリスト」にはかなり突拍子もない項目もあるが、僕は割と楽観的だ。
僕なら達成できるだろう。

40代の自分に何を手渡すか

あと1年と数ヶ月で、僕は40代に突入だ。
もはや高邁な目標など持てないので「40代でやりたいことリスト」を作り、
淡々と実行していく予定でいる。

リストの一例を挙げると、

・グリフィス天文台で早朝ランニング
・イギリスの沿岸地方をハイキング
・家庭菜園の規模を拡大する
・副業で物販をやる

などなど、行ってみたい国ややってみたい仕事などのアクティビティが中心で、
もはや物欲が出てこない。むしろモノは生活の邪魔になってしまう。

リストを達成するためには、

  1. 語学
  2. 働き方
  3. ライフスタイル

を磨いていく必要がある。

語学は当然として、ライフスタイルは不要なものをバッサリ捨て、
モノを溜め込まない生活を築くことが大切だ。

f:id:danceswithwolves:20180826205855j:plain:w400

そして一番重要なものは働き方だ。
現状のように、会社に場所の制約を受け、家計の多くを依存する働き方を
徐々に変えていかなければならない。
現在、個人事業として数社のITアドバイザリーをしている。
これは維持しつつ、何かしらスケールしやすいスモールビジネスを
立ち上げていなければならない。

というわけで、40代までの残り1年数か月は勝負の時間だ。

40歳の自分には海外で生活できるだけの語学、時間や場所に縛られない
ライフスタイルと仕事を渡したい。
もちろん全てが完璧にはいかないだろうけれど、少なくとも語学とライフスタイルは
100%必達にしなければならない。働き方改革は20~30%でも進展すれば、
立派なものだろう。

そもそもこのブログも単調になっていた人生をもっと楽しく豊かにするための
記録として始めた。
2年が経過し学んだことは、人生は常にチャレンジしていないとどんどん縮小してくる
ということだ。僕と同じ30代の男性の中には、20代後半が人生のピークだった人も
多いではないだろうか。安定はそれまでの積み重ねの賜物だが、新しい変化を取り入れて
いないと、いつの間にかその安定すら失う危険性すらある。
もう一度初心に帰って、豊かな40代ライフを過ごすために、残りの30代は全力で
取り組みたい。

なぜ子供に勉強させるのか

都内は連日猛暑なので、暑さから逃れるために軽井沢に行ってきた。
帰ってくると長女のZ会が旅行に行っていた分、進んでいない・・・
なので、午前はプールに行って、午後は勉強をみることに。

「なんでこんなにやる事が多いのー!」と叫んでいるが、おそらく
どの家庭も子供になぜ勉強しなければいけないのか、その動機付けに
苦労しているのではなかろうか。

人間万事塞翁が馬なので、学のあるなしが必ずしも人生の幸不幸ではない。
学歴があれば職業選択の自由が広がるという意見もあるけれど、逆に狭まる
ケースも多分にある。

その学歴にしろ、源泉となる学習のモチベーションもほとんど運なのでは
なかろうかとさえ思える。
僕は小中高と全く勉強しなかったが、高3でたまたま読んだ『東京大学物語
で登場人物たちがセックスしまくっていて、「大学に行ったらパラダイス
じゃないか!」と思って、受験勉強を始めた。

もし、友達の家で『東京大学物語』を読まなかったら、大学にも行かず
フリーターになってワーキングプアになり、野たれ死んでいた可能性も
否定できない。

社会に出てからも、たまたま僕の事を評価してくれる人と出会えたから
なんとか生き残っている。が、一般的に言って、僕はそうとうな
社会不適合者だと感じる事がある。
スーツ必須の会社で私服で通勤していたし、興味のない仕事を拒否する
ことも多々あった。
もし当時の上司や仕事仲間と出会っていなかったらと考えると、ぞっと
してしまう。

子供の頃は全く勉強しなかったし、社会に出てからもまっとうに
生きてこなかった人間が、子供に「勉強した方が良いよ」というのも
おかしな話なのだ。

f:id:danceswithwolves:20180811212441j:plain:w400

とはいえ、僕はやはり心を鬼にして低学年の子供にZ会と英語の
勉強をさせている。別に中学受験をさせるつもりもないのだけれど、
何も言わないとたぶん、ずっとAmazonプライムを観ている気がする。

いざ、何か目標ができた時に、なんの下地もないと途方に暮れて、
きっととても後悔する事になると思う。

好奇心を抱いたり、目標を持つ事はどうしても運の要素が強い。
だがいざその瞬間が訪れた時に前に進む原動力となるものは、
日頃の積み重ねじゃないのかと思う。

機会の平等で広がる格差

データ分析の仕事をしているのだけれど、使うのはRやPythonといった
高度な統計ライブラリを備える無料のプログラミング言語だ。
データセンターで必死にインフラを作らなくても、AWSなどの
クラウドサービスを使うとボタン一つでデータ分析環境を構築できる。
学生の頃はデータ分析をしようとすると大学のPCにインストール
されている高額の統計ソフトを使う必要があったことに比べれば、
格段に便利になった。

また新しい分析手法を学ぼうと思えば、ネットで世界中の論文に
アクセスできるし、翻訳されていない専門書もAmazonで容易に買える。
学生時代に洋書が欲しければ、大学の図書館で調べるか、
御茶ノ水丸善三省堂に探しに行くかなかった。

f:id:danceswithwolves:20180804165151j:plain:w400

ところで、僕の娘はYoutubeでPhonixの動画を見て英語の勉強をしている。
アウトプットしようと思えば、高額な英会話教室や語学留学をしなくても
低コストでSkypeでネイティブ教師から学ぶことができる。

テクノロジーの普及により、知識を得たり、アウトプットにかかるコストが
ものすごく安くなっているのだ。

これで日本社会はますます豊かになっていくのだろうか?
僕は全く逆の現象が起こっていると思う。

例えば以前、サラリーマンが電車の中でする暇つぶしは新聞や本を
読むことだった。ところが今や、通勤中のサラリーマンの大半は
スマホゲームをしている。テクノロジーの普及が、サラリーマンから
新聞と本を奪い、ゴミみたいなゲームで時間を浪費させることに
なったのだ。このような光景を見ると、日本経済が停滞し、
サラリーマンの収入もダダ下がりなのは、何も少子高齢かの影響だけでは
ない気がする。

昔は洋書を読みたければ都心の大きな本屋に行くしかない、
地理的な障壁があった。専門ソフトがある大学にいかなければ研究が
できなかったし、お金がなければ英会話など習えなかった。
知識への参入障壁が格差を生んでいた。

それが取り払われたはずの現代で、ますます格差が広がっている。
結局、貧富に横たわる最大の障壁は、個人の資質ということだ。