データ分析の仕事をしているのだけれど、使うのはRやPythonといった
高度な統計ライブラリを備える無料のプログラミング言語だ。
データセンターで必死にインフラを作らなくても、AWSなどの
クラウドサービスを使うとボタン一つでデータ分析環境を構築できる。
学生の頃はデータ分析をしようとすると大学のPCにインストール
されている高額の統計ソフトを使う必要があったことに比べれば、
格段に便利になった。
また新しい分析手法を学ぼうと思えば、ネットで世界中の論文に
アクセスできるし、翻訳されていない専門書もAmazonで容易に買える。
学生時代に洋書が欲しければ、大学の図書館で調べるか、
御茶ノ水の丸善や三省堂に探しに行くかなかった。
ところで、僕の娘はYoutubeでPhonixの動画を見て英語の勉強をしている。
アウトプットしようと思えば、高額な英会話教室や語学留学をしなくても
低コストでSkypeでネイティブ教師から学ぶことができる。
テクノロジーの普及により、知識を得たり、アウトプットにかかるコストが
ものすごく安くなっているのだ。
これで日本社会はますます豊かになっていくのだろうか?
僕は全く逆の現象が起こっていると思う。
例えば以前、サラリーマンが電車の中でする暇つぶしは新聞や本を
読むことだった。ところが今や、通勤中のサラリーマンの大半は
スマホゲームをしている。テクノロジーの普及が、サラリーマンから
新聞と本を奪い、ゴミみたいなゲームで時間を浪費させることに
なったのだ。このような光景を見ると、日本経済が停滞し、
サラリーマンの収入もダダ下がりなのは、何も少子高齢かの影響だけでは
ない気がする。
昔は洋書を読みたければ都心の大きな本屋に行くしかない、
地理的な障壁があった。専門ソフトがある大学にいかなければ研究が
できなかったし、お金がなければ英会話など習えなかった。
知識への参入障壁が格差を生んでいた。
それが取り払われたはずの現代で、ますます格差が広がっている。
結局、貧富に横たわる最大の障壁は、個人の資質ということだ。