星の鼓動は愛

平凡サラリーマンがリッチでモテモテのイケてるオッサンになるためのブログ

40代の自分に何を手渡すか

あと1年と数ヶ月で、僕は40代に突入だ。
もはや高邁な目標など持てないので「40代でやりたいことリスト」を作り、
淡々と実行していく予定でいる。

リストの一例を挙げると、

・グリフィス天文台で早朝ランニング
・イギリスの沿岸地方をハイキング
・家庭菜園の規模を拡大する
・副業で物販をやる

などなど、行ってみたい国ややってみたい仕事などのアクティビティが中心で、
もはや物欲が出てこない。むしろモノは生活の邪魔になってしまう。

リストを達成するためには、

  1. 語学
  2. 働き方
  3. ライフスタイル

を磨いていく必要がある。

語学は当然として、ライフスタイルは不要なものをバッサリ捨て、
モノを溜め込まない生活を築くことが大切だ。

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そして一番重要なものは働き方だ。
現状のように、会社に場所の制約を受け、家計の多くを依存する働き方を
徐々に変えていかなければならない。
現在、個人事業として数社のITアドバイザリーをしている。
これは維持しつつ、何かしらスケールしやすいスモールビジネスを
立ち上げていなければならない。

というわけで、40代までの残り1年数か月は勝負の時間だ。

40歳の自分には海外で生活できるだけの語学、時間や場所に縛られない
ライフスタイルと仕事を渡したい。
もちろん全てが完璧にはいかないだろうけれど、少なくとも語学とライフスタイルは
100%必達にしなければならない。働き方改革は20~30%でも進展すれば、
立派なものだろう。

そもそもこのブログも単調になっていた人生をもっと楽しく豊かにするための
記録として始めた。
2年が経過し学んだことは、人生は常にチャレンジしていないとどんどん縮小してくる
ということだ。僕と同じ30代の男性の中には、20代後半が人生のピークだった人も
多いではないだろうか。安定はそれまでの積み重ねの賜物だが、新しい変化を取り入れて
いないと、いつの間にかその安定すら失う危険性すらある。
もう一度初心に帰って、豊かな40代ライフを過ごすために、残りの30代は全力で
取り組みたい。

なぜ子供に勉強させるのか

都内は連日猛暑なので、暑さから逃れるために軽井沢に行ってきた。
帰ってくると長女のZ会が旅行に行っていた分、進んでいない・・・
なので、午前はプールに行って、午後は勉強をみることに。

「なんでこんなにやる事が多いのー!」と叫んでいるが、おそらく
どの家庭も子供になぜ勉強しなければいけないのか、その動機付けに
苦労しているのではなかろうか。

人間万事塞翁が馬なので、学のあるなしが必ずしも人生の幸不幸ではない。
学歴があれば職業選択の自由が広がるという意見もあるけれど、逆に狭まる
ケースも多分にある。

その学歴にしろ、源泉となる学習のモチベーションもほとんど運なのでは
なかろうかとさえ思える。
僕は小中高と全く勉強しなかったが、高3でたまたま読んだ『東京大学物語
で登場人物たちがセックスしまくっていて、「大学に行ったらパラダイス
じゃないか!」と思って、受験勉強を始めた。

もし、友達の家で『東京大学物語』を読まなかったら、大学にも行かず
フリーターになってワーキングプアになり、野たれ死んでいた可能性も
否定できない。

社会に出てからも、たまたま僕の事を評価してくれる人と出会えたから
なんとか生き残っている。が、一般的に言って、僕はそうとうな
社会不適合者だと感じる事がある。
スーツ必須の会社で私服で通勤していたし、興味のない仕事を拒否する
ことも多々あった。
もし当時の上司や仕事仲間と出会っていなかったらと考えると、ぞっと
してしまう。

子供の頃は全く勉強しなかったし、社会に出てからもまっとうに
生きてこなかった人間が、子供に「勉強した方が良いよ」というのも
おかしな話なのだ。

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とはいえ、僕はやはり心を鬼にして低学年の子供にZ会と英語の
勉強をさせている。別に中学受験をさせるつもりもないのだけれど、
何も言わないとたぶん、ずっとAmazonプライムを観ている気がする。

いざ、何か目標ができた時に、なんの下地もないと途方に暮れて、
きっととても後悔する事になると思う。

好奇心を抱いたり、目標を持つ事はどうしても運の要素が強い。
だがいざその瞬間が訪れた時に前に進む原動力となるものは、
日頃の積み重ねじゃないのかと思う。

機会の平等で広がる格差

データ分析の仕事をしているのだけれど、使うのはRやPythonといった
高度な統計ライブラリを備える無料のプログラミング言語だ。
データセンターで必死にインフラを作らなくても、AWSなどの
クラウドサービスを使うとボタン一つでデータ分析環境を構築できる。
学生の頃はデータ分析をしようとすると大学のPCにインストール
されている高額の統計ソフトを使う必要があったことに比べれば、
格段に便利になった。

また新しい分析手法を学ぼうと思えば、ネットで世界中の論文に
アクセスできるし、翻訳されていない専門書もAmazonで容易に買える。
学生時代に洋書が欲しければ、大学の図書館で調べるか、
御茶ノ水丸善三省堂に探しに行くかなかった。

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ところで、僕の娘はYoutubeでPhonixの動画を見て英語の勉強をしている。
アウトプットしようと思えば、高額な英会話教室や語学留学をしなくても
低コストでSkypeでネイティブ教師から学ぶことができる。

テクノロジーの普及により、知識を得たり、アウトプットにかかるコストが
ものすごく安くなっているのだ。

これで日本社会はますます豊かになっていくのだろうか?
僕は全く逆の現象が起こっていると思う。

例えば以前、サラリーマンが電車の中でする暇つぶしは新聞や本を
読むことだった。ところが今や、通勤中のサラリーマンの大半は
スマホゲームをしている。テクノロジーの普及が、サラリーマンから
新聞と本を奪い、ゴミみたいなゲームで時間を浪費させることに
なったのだ。このような光景を見ると、日本経済が停滞し、
サラリーマンの収入もダダ下がりなのは、何も少子高齢かの影響だけでは
ない気がする。

昔は洋書を読みたければ都心の大きな本屋に行くしかない、
地理的な障壁があった。専門ソフトがある大学にいかなければ研究が
できなかったし、お金がなければ英会話など習えなかった。
知識への参入障壁が格差を生んでいた。

それが取り払われたはずの現代で、ますます格差が広がっている。
結局、貧富に横たわる最大の障壁は、個人の資質ということだ。

理想の生活

9連休のGWは都内でまったり過ごすことに。
朝、近所の都立公園を散策し、美術館に併設されているカフェでクリームソーダ
平日なので、人によっては通勤電車に揺られているだろう。
それらを想像するだけで、クリームソーダ通常の3倍は美味しく感じられる。

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これだ・・・
僕の目指しているのはこの生活だ。

副業で行っている個人事業を伸ばすことは当然として、問題は会社だ。
どうも最近、会社の居心地が良い。
データ分析や人工知能の業務に専念できるようになったし、
残業も特になく休みも多い。
9連休以上は少なくとも年に4〜5回はつくれる。

また徐々にリモートワークへの移行が進んでいて、2020年には全社員を対象に
週の大半をオフィス以外で働けるように計画しているという。
給料も、このご時世、800万円以上は支払われるので悪くはない。
ようするに、この会社は辞めにくいのだ。

しかしリモートワークとはいえ、ある程度は会社の業務にコミットしなければ
ならない状況は変わらない。僕の理想は、好きな時に好きな場所に行けることだ。
個人事業があれば金銭的には特に問題にはならないが、それでも会社を辞めて
理想生活が成り立つほど稼げているわけではない。

40代はなんとしても理想の生活を送らなければならないのだが、40歳まで
すでに1.5年を切っている。
まぁ、現在の仕事の方向的には間違ってはいないと思うので、着実に進んでいきたい。

『数学の二つの心』〜予備校講師が感じる受験教育の矛盾

データマイニングとか機械学習の仕事をすると、どうしても基本的な
数学や統計学の理解がかかせない・・・と思うかもしれないが、実際は
プログラミングライブラリがよしなにやってくれるので、実務として
取り組む場合はなんとかなってしまうというのが現実だ。
なぜならビジネスにおいては儲かることが正義なので、学問的に正しいとか、
理論を理解しているというのはわりとどうでも良いのだ。
難しいロジックが正しいのではなく、儲かるロジックが正義なのだ。

しかし、この手の理論学習は趣味としては面白い。
大学数学の参考書などを引っ張り出して、専門書と並列的に勉強している。
そのうちに数学そのものにも興味が湧いてきた。
たまたま紀伊国屋に行った時、予備校講師である長岡亮介先生の
『数学の二つの心』という本が目に入った。
筆者は予備校講師であるため、効率的で効果的な学習を生徒に示す必要がある立場だ。
同時に、数学を教育する者として大きな矛盾に突き当たっている。
「自分が教えたい数学の素晴らしさは、こういうことじゃないんだ」ということだ。

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この本は予備校講師としての表の心と、教育者としての裏の心が書かれている。

例えば微積分の項目では以下のように述べられている。

初学者にとって微積分法を学ぶ最大の意義は、微積分の創始者の苦労を偲び、
擬似的であれそれを共有することであると筆者は思うからである。
もし私たちがせっかく微積分方を学ぶという幸運に浴しながら、
微積分方を産み出した発想、文化、思想をまったく理解せずに終わるのであれば、
まことに残念という他はない。表面的な《技》の背後にある《想い》を
理解しないのは明らかにもったいないからである。
このように、微積分の教育は、実用的な技術的知識の教育と英智を育む教育という
矛盾した側面をもっている。

このような理想論は、結局は家庭学習で自然と子供に仕向ける必要があるかもしれない。
勉強は将来への投資もあるが、同時に、純粋に趣味として楽しいこともある。
試験のための勉強ほど無意味なものはなく、学んだ先に人生の豊かさに通じるものが
なければ意味がない。

ところで、本書で僕が最も印象に残ったのは、日本の大学生について言及した箇所だ。

日本の若者の現状を見ると、彼らが受験の「成功」によって「解放」も「開放」も
されているようには見えない。
むしろ、「解放」が直ちに「次の隷従」に接続している、というおぞましい状況を
推定しなくてはならないように見える。

「バイト」やら「サークル」とかに《時間を空費する背景》に、
「自分の好きな生活」を成り立たせるために、コストをかけて手に入れようとしている
本来の目標達成を犠牲にしても小銭を稼がなければならない、という現代の貧困問題と、
「群れる」ことで生きる不安を忘れようとしている、日本社会全般に見られる成人の
幼稚性を見なくてはならない。
そして、本来の目標から疎外され、自分の問題として深刻化させないために、
「バイト」、「サークル」による学習時間の不足のせいにしているように見える。

大学受験の抑圧から解放された大学生は勉強をしなくなる・・・という一般論を超え、
若者が社会や集団への隷属にしがみついている異様や光景を喝破している。

僕自身、友達と呼べる少数の人たちとは年に1〜2回会う程度。合わない年さえある。
一部の若者に見られるような仲間意識や、友達の数の大小を人間の評価基準にするような
光景に違和感を覚えていた身としてはすんなりと受け入れられる発想だ。

数学教育や教育全般に対する予備校講師としての筆者のジレンマが見れる良書だ。
子供がいる人にはぜひ薦めたい。

本を捨てるということ

ついに新年度だ。
僕は40代はモテモテのイケてるリッチなオッサンとして過ごすと決めているので、
区切りとなる40歳まで残り1年半は極めて重要なフェーズだ。
本業、副業、プライベート、どれも充実させなければならない。

まず長年の課題であった断捨離を実行することにした。

[なぜ断捨離ができないのか]
僕の荷物の大半は本だ。
僕はKindle大好きで専門書や技術書以外は基本的に電子書籍を買っているが、
それでも「過去の遺産=紙の本」は減らない。

クローゼットや本棚に積まれた本を捨てなくては、断捨離を完遂することはできない。

[本を捨てるのが苦しい]
僕は勉強をまるでしない人間だったが、本だけは好きだった。
中学の授業をサボって神保町の本屋に通うという不良だか優等生なんだか
わからない生活を送っていた。

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本棚に並んだ本の発行日を見れば、中学高校を過ごした90年代から大学や
新社会人の00年代まである。
本は中身だけでなく、それを読んだ時代の自分を振り返ることができるのだ。

大袈裟ではなく、人生そのものだ。
故に捨てるのが辛いっす・・・

[新しい一歩のために本は捨てなければならない]
しかし僕は決意を新たにした。
僕は来年には40歳を迎えるが、40代はさらに成長するだろうし、
所得もガンガン増えハッピーライフを満喫することだろう。
そのためにも新しい知識や経験を得なければならない。
過去に囚われていてはいけないのだ。

かくして本棚とクローゼットから本を選別し、ダンボール二箱分に別れを告げた。
(たった二箱かというツッコミはなしで・・・)

勉強をお金に変えられるか

全くブログネタがなくなってしまった(笑
去年までは週1くらいで更新していたのに、月1ペースである。

自分自身の仕事や子供の学習を見ていて、思ったことをつらつら書いてみたい。

[日本の労働環境は勉強をお金に変えにくい]
僕の知り合いの東大卒の工学博士で、その分野で専門書まで執筆し、
日本を代表する超巨大企業に勤める30代の男性がいる。
彼の年収は、なんとたったの700万円である。
私大文系卒で、衰退産業真っ只中の企業に勤める僕の給料よりもずっと低いのだ!

これまで、理系の優秀な高校生が将来の利確をしようと思ったら、医学部一択だった。
これはわりと悲劇で、本来は技術大国としてバリバリ日本を引っ張ってもらいたい
才能ある若者がみんな医学部に入ってしまい、じいさんばあさんの世話に回ってしまうのだ。

文系も弁護士や会計士はかつての高給イメージとは程遠いし、大企業で出世して役員に
なっても年収はせいぜい2〜3千万円程度。公務員や大学教授などそれよりも低い。
もちろん株の配当だとか天下りだとか愛人用のマンションだとかオマケはあるものの
(参考:島耕作)、「トップランカーでそんだけ?」という夢のない話だ。

大学受験まであれだけ勉強したのに、その努力や才能を活かせる職場がないのだ。
勉強を続けても対価が低いどころか、かつての日系大企業はむしろ一流大学の体育会系の
パープーを好んだ。何も考えずに、ハイハイ言うことを聞くからだ。

[少しずつ環境は変わっている]
僕の仕事はデータ分析であるが、転職サイトでデータアナリストやらデータサイエンティストで
検索すると、年収レンジは約600〜1,500万円で、他の職業と比べるとやや高い。
管理職やパートナーになればさらに高い年収になっている。
今後はIT技術者が不足してくるので、おそらく高度技術者は似たようなレンジに入ってくると思う。
ようやく専門職に光があたるようになってきた。
他職種でも欧米や中華圏の外資系企業は新卒の学生に対しても、かなり高い金額を提示している。

いままで不遇だった理系学生が、その頭脳が報酬という対価を生む環境が整いつつあることは
個人にとっても日本にとっても良いことだ。

[日本の大学生は惜しい]
ところでデータ分析の仕事をしていると、どうしても統計だとかデータマイニング機械学習
理論的な知識が必要になる。最新情報は海外が発信なので、資料は全部英語。さらに学術的な
本や論文を読むと統計学や数学の知識が前提となってくる。

英語や数学は大学受験の延長なのだけれど、前述のように、大半の日本の大学生は大学合格時点
で勉強を止めてしまっている。
これは非常にもったいのないことで、基礎はできているのに、「金が稼げるレベル」になって
いないのだ。
そして一番大変なのは「基礎」を作る工程だ。
「金が稼げるレベル」というのは、勉強すればするだけ業務に活かせて給料が上がるので、
モチベーション維持には事欠かない。しかもその時必要な部分だけ学習すれば良いので、
大学受験に比べれば遥かに負担は少ない。

[就職は日々の勉強が活かせる環境を選ぶ]
勉強は安価かつ再現性の高い手段で、それが仕事と結びつくと安定的に稼ぎやすい。
もちろん運良く起業した事業が当たったり、生まれ持った才能があれば最高だが、
それはそれ、これはこれだ。
幸い、日本でもそのような環境が以前と比べればかなり改善されている。
昭和のように馬鹿な学生を大量採用するような企業は、そもそも国際競争の中で生き残れなく
なってきている。

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今後は年齢に関係なく、知的好奇心を持ち続けられる人がより豊かになっていくように感じる。