娘がテレビでジブリ映画『耳をすませば』を観ていた。
エンディングで「カントリーロード」が流れた時に、不覚にも泣きそうになった。
なんだこの映画は・・・
『耳をすませば』は僕が高校生の頃の作品だ(原作の漫画はさらに昔だ)。
恋愛作品として扱われているが、僕は夢に向かって進む同級生に憧れ模索する
ヒロインの姿に共感した。
しかしこの作品を見返した今、中学三年の二学期に、受験勉強よりも拙い小説を
完成させようとするヒロインを見て、「高校受験が終わってから書けばいいじゃん」
と思ってしまった自分に哀しくなった。
そんな自分の老いを目の当たりにして、最後に流れるテーマ曲である。
ひとりぼっち おそれずに
生きようと 夢みてた
さみしさ 押し込めて
強い自分を 守っていこ
この少年少女の力強くか弱い宣言に対して
「高校受験が終わってから…」
って、なんて情けない感想だ…そりゃあ、泣きたくもなるはずだ。
他者への批評や批判というのは、裏を返せば自分の心の弱さだ。
今の僕に、このヒロインのように自分の心の声を探り当て、チャレンジする勇気はあるだろうか。
ヒロインは自分の中に原石を探し、磨こうとするが、模索し挑戦することは、少年少女のみに
許される行為なのだろうか。
日々の生活に押し流されていると、今の自分が本来の姿のように思い込んでしまう。
が、その姿は世間体や何かに対する恐れから自分を舗装している状態だ。
自分を守っているつもりで、結局、新しい経験や成功から遠ざけてしまっている。
『耳をすませば』の製作者たちは作品に「おじさん世代の青春の遺憾を反映した」と
インタビューで応えている。
しかしこの作品は現在進行形でアイデンティティを失いつつある「おじさん世代」に対しても、
ないかもしれない原石を探す勇気や、それを磨く覚悟があることを問いかけてくる。