都内は連日猛暑なので、暑さから逃れるために軽井沢に行ってきた。
帰ってくると長女のZ会が旅行に行っていた分、進んでいない・・・
なので、午前はプールに行って、午後は勉強をみることに。
「なんでこんなにやる事が多いのー!」と叫んでいるが、おそらく
どの家庭も子供になぜ勉強しなければいけないのか、その動機付けに
苦労しているのではなかろうか。
人間万事塞翁が馬なので、学のあるなしが必ずしも人生の幸不幸ではない。
学歴があれば職業選択の自由が広がるという意見もあるけれど、逆に狭まる
ケースも多分にある。
その学歴にしろ、源泉となる学習のモチベーションもほとんど運なのでは
なかろうかとさえ思える。
僕は小中高と全く勉強しなかったが、高3でたまたま読んだ『東京大学物語』
で登場人物たちがセックスしまくっていて、「大学に行ったらパラダイス
じゃないか!」と思って、受験勉強を始めた。
もし、友達の家で『東京大学物語』を読まなかったら、大学にも行かず
フリーターになってワーキングプアになり、野たれ死んでいた可能性も
否定できない。
社会に出てからも、たまたま僕の事を評価してくれる人と出会えたから
なんとか生き残っている。が、一般的に言って、僕はそうとうな
社会不適合者だと感じる事がある。
スーツ必須の会社で私服で通勤していたし、興味のない仕事を拒否する
ことも多々あった。
もし当時の上司や仕事仲間と出会っていなかったらと考えると、ぞっと
してしまう。
子供の頃は全く勉強しなかったし、社会に出てからもまっとうに
生きてこなかった人間が、子供に「勉強した方が良いよ」というのも
おかしな話なのだ。
とはいえ、僕はやはり心を鬼にして低学年の子供にZ会と英語の
勉強をさせている。別に中学受験をさせるつもりもないのだけれど、
何も言わないとたぶん、ずっとAmazonプライムを観ている気がする。
いざ、何か目標ができた時に、なんの下地もないと途方に暮れて、
きっととても後悔する事になると思う。
好奇心を抱いたり、目標を持つ事はどうしても運の要素が強い。
だがいざその瞬間が訪れた時に前に進む原動力となるものは、
日頃の積み重ねじゃないのかと思う。