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『数学の二つの心』〜予備校講師が感じる受験教育の矛盾

データマイニングとか機械学習の仕事をすると、どうしても基本的な
数学や統計学の理解がかかせない・・・と思うかもしれないが、実際は
プログラミングライブラリがよしなにやってくれるので、実務として
取り組む場合はなんとかなってしまうというのが現実だ。
なぜならビジネスにおいては儲かることが正義なので、学問的に正しいとか、
理論を理解しているというのはわりとどうでも良いのだ。
難しいロジックが正しいのではなく、儲かるロジックが正義なのだ。

しかし、この手の理論学習は趣味としては面白い。
大学数学の参考書などを引っ張り出して、専門書と並列的に勉強している。
そのうちに数学そのものにも興味が湧いてきた。
たまたま紀伊国屋に行った時、予備校講師である長岡亮介先生の
『数学の二つの心』という本が目に入った。
筆者は予備校講師であるため、効率的で効果的な学習を生徒に示す必要がある立場だ。
同時に、数学を教育する者として大きな矛盾に突き当たっている。
「自分が教えたい数学の素晴らしさは、こういうことじゃないんだ」ということだ。

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この本は予備校講師としての表の心と、教育者としての裏の心が書かれている。

例えば微積分の項目では以下のように述べられている。

初学者にとって微積分法を学ぶ最大の意義は、微積分の創始者の苦労を偲び、
擬似的であれそれを共有することであると筆者は思うからである。
もし私たちがせっかく微積分方を学ぶという幸運に浴しながら、
微積分方を産み出した発想、文化、思想をまったく理解せずに終わるのであれば、
まことに残念という他はない。表面的な《技》の背後にある《想い》を
理解しないのは明らかにもったいないからである。
このように、微積分の教育は、実用的な技術的知識の教育と英智を育む教育という
矛盾した側面をもっている。

このような理想論は、結局は家庭学習で自然と子供に仕向ける必要があるかもしれない。
勉強は将来への投資もあるが、同時に、純粋に趣味として楽しいこともある。
試験のための勉強ほど無意味なものはなく、学んだ先に人生の豊かさに通じるものが
なければ意味がない。

ところで、本書で僕が最も印象に残ったのは、日本の大学生について言及した箇所だ。

日本の若者の現状を見ると、彼らが受験の「成功」によって「解放」も「開放」も
されているようには見えない。
むしろ、「解放」が直ちに「次の隷従」に接続している、というおぞましい状況を
推定しなくてはならないように見える。

「バイト」やら「サークル」とかに《時間を空費する背景》に、
「自分の好きな生活」を成り立たせるために、コストをかけて手に入れようとしている
本来の目標達成を犠牲にしても小銭を稼がなければならない、という現代の貧困問題と、
「群れる」ことで生きる不安を忘れようとしている、日本社会全般に見られる成人の
幼稚性を見なくてはならない。
そして、本来の目標から疎外され、自分の問題として深刻化させないために、
「バイト」、「サークル」による学習時間の不足のせいにしているように見える。

大学受験の抑圧から解放された大学生は勉強をしなくなる・・・という一般論を超え、
若者が社会や集団への隷属にしがみついている異様や光景を喝破している。

僕自身、友達と呼べる少数の人たちとは年に1〜2回会う程度。合わない年さえある。
一部の若者に見られるような仲間意識や、友達の数の大小を人間の評価基準にするような
光景に違和感を覚えていた身としてはすんなりと受け入れられる発想だ。

数学教育や教育全般に対する予備校講師としての筆者のジレンマが見れる良書だ。
子供がいる人にはぜひ薦めたい。