会社で、僕の隣の席に美人の既婚者Rさんが座っている。
R「いつも誘われるから、断るの疲れるんだよね」
僕「ふ〜ん」
聞き流してから、おかしなことを言っているのに気づく。
僕「誘われるって食事?」
R「そうそう、仕事で接してるだけなのに、みんなすぐ連絡先教えてとか食事に行こうとか。
毎回断るのも失礼かと思うんだけど、行きたくないし」
僕「・・・・・・」
断るのが面倒なくらい誘われるというのは、Rさんのような美人には日常茶飯事なのだろうが、
僕のような非モテにはわからない心境である。
同時に、後ろの席にいる30代の独身女性A子とB子の会話が聞こえて来る。
A子「今日中に企画書書かなくちゃ! 22時まで残業だ!」
B子「私も〜、コンビニに夜食買いに行こう!」
コンビニに行く二人をよそに、定時で帰る美人のRさん。
そして10分後、コンビニからA子とB子が帰ってくる。
二人はコンビニ袋から巨大な串刺しの唐揚げを取り出すと、もっさもっさと食べ始める。
僕「唐揚げ食べてるんだ」
B子「特製の唐揚げなの〜、美味しいの〜。もぐもぐ」
A子「私は野菜スティックも買ったの〜。ぼりぼり」
僕「・・・・・・」
僕はいたたまれない気持ちになり、会社をあとにした。
彼女たちは企画書を作るために22時まで残るといっていた。
その企画書は彼女たちに幸せを与えてくれるのだろうか。
僕は結婚するしないは本人の自由であり、周りがそのことについて言及するのは
余計なお世話と思っていた。
だが、彼女たちがこのままずっと、40歳になっても残業して企画書を書き続け、
誰もいない部屋に帰り、一人で休日を過ごすのを見過ごしていいのだろうか。
残業して企画書を書けばもしかすると上司に褒められ、お給料がちょっとは上がるかもしれない。
しかし、人間は上司に褒められ、お給料がちょっと上がるために生まれてきたのだろうか。
その程度の幸福が、いままで生きてきた成果で良いのだろうか。
そもそも人間はどんな時に幸福を感じるのだろうか。
僕は、人間の欲求は実はそんなに強くないんじゃないかと思う。
ではなぜ人間はお金や健康を欲するのだろうか。
それは自分の愛する人を守るためではないだろうか。
そして自分の愛する人たちに幸福をもたらすことこそ、人間がもっとも
幸福を感じることなのではないだろうか。
いや、こんなことは当たり前すぎて、意識すらしなかったと思う。
そうなのだ、僕たちは誰かを幸せにすることで自分も幸せになれるのである。
僕はA子とB子にすぐにでも合コンをセッティングしてあげたくなった。
しかし残念ながら、一定の水準に達している男は30歳を過ぎるとほとんど全員、結婚しているのだ。
彼女たちは僕の支援は期待せず、すぐにでも唐揚げの串を捨てて、夜の街に繰り出さなければならない。
人は独りで生きていてはいけないのである。